本土復帰と米国営放送 Voice Of America
2022.8.1
2022年は戦後アメリカ軍の施政権下に置かれた沖縄が本土復帰してから50年の節目の年です。
復帰にまつわる出来事や当時を物語る場所や人々の証言を通じて今の沖縄を見つめ、これからを考えます。
1962年、国頭村の上空写真から
1962年、国頭村の上空から撮影された1枚の写真。
画面中央のまっすくに伸びた道の先に、ひし形のように開けた土地があります。
少し低い場所からみると、集落と集落の間に広がる水田地帯に6本の大きな鉄塔が建っているのがわかります。
「国頭村 奥間」かつてこの場所に、アメリカのある施設が置かれていました。
Voice Of America(アメリカの声)米国営放送
Voice Of America (VOA)、アメリカの国営放送で、中国や旧ソ連などへ向け、プロパガンダ(政治宣伝)のラジオ放送が行われていました。国頭村や大宜味村などの現地採用の従業員も多く、およそ120名の沖縄の人々が働いていました。
強力電波が生んだ不思議な現象
大陸へ放送電波を届けるため、その出力はおよそ1000kWもありました。
現在地方の放送局の出力は10kW。VOAはその100倍もの出力で電波を発していたのです。
【動画でみる】VOA 出力の大きさを物語る証言と映像
畑に設置された盗難防止用の鉄線に、VOAから発生したエネルギーが蓄積することで熱を帯び、誤って触った方が火傷してしまったり、その鉄線に蛍光灯を近づけてみると、蛍光灯が光りだしたり、ラジオがなくてもVOAの放送が聞こえるなど、VOAの出力の大きさを物語る証言が残されていました。
沖縄返還協定(1971年)復帰後5年間VOA継続を日米合意
日本の法律では、外国法人が電波を発することは禁止されているため、沖縄の本土復帰に伴い、日本政府はVOAの撤去を望みました。しかしアメリカは存続を希望。
最終的に復帰後5年間の運営を続けることで表向きは決着しました。
(その裏では密約が交わされ、VOAの移転費1600万ドル(当時の価値で57億円程度)を日本政府が肩代わりすることが秘密裏に約束された)
その一方で、職を失う従業員への補償は充分ではありませんでした。
VOA従業員たちは、「日本人の会」を結成し、県や日本政府と陳情を重ね、退職金や、職業訓練などを受けることができました。
財政面で優遇されたアメリカに対し、声を上げるまでないがしろにされていた従業員たち。
およそ半世紀経った今、アメリカと日本の狭間で置き去りにされた沖縄の姿は、変わっていないのかもしれません。
【MAP】沖縄県国頭村 Voice Of America 米国営放送
住所:〒905-1417 沖縄県国頭郡国頭村
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