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那覇市民会館 ~50年前の本土復帰 式典の地~

2022.7.27

2022年は戦後アメリカ軍の施政権下に置かれた沖縄が本土復帰してから50年の節目の年です。
復帰にまつわる出来事や当時を物語る場所や人々の証言を通じて今の沖縄を見つめ、これからを考えます。

50年前、本土へ復帰した日、「沖縄県」が発足する記念の式典が、「那覇市民会館」で開かれました。


那覇市民会館前では、抗議の声が上がるなど、沖縄が歩んできた苦難の歴史や、人々の複雑な感情が入り混じるなかで復帰を迎えることを現していました。


戦後27年のアメリカ軍統治が終わり、沖縄県が発足、記念の式典が那覇市民会館が行われました。
同じ日、東京の日本武道館では政府主催の「沖縄復帰記念式典」が沖縄会場と同時開催され、「岸信介」、「田中角栄」、「中曾根康弘」など、そうそうたる面々が復帰を祝いました。


1972年5月15日、沖縄県が発足する記念式典が行われ、屋良朝苗県知事は、演説で沖縄県の発足を高らかに宣言しました。
宣言後の式辞では「復帰を果たした喜び」、「基地が残された憤り」など、複雑な県民感情が込められていました。

屋良朝苗知事 式辞

さて 沖縄の祖国復帰の日は 疑いもなく ここに到来し
新しい沖縄県の出発を 見ることができました
しかし 沖縄県民の これまでの要望と 心情に照らして 復帰の内容をみますと
私どもの切なる熱願が 必ずしも十分に 入れらたことは 言えないことも 事実であります
そこには米軍基地の 態様の問題を始め 内蔵する 色々の問題が存在し
これらを持ち込んでの 復帰になったわけで あります
したがって 私どもにとって これからもまた 厳しさは続き 新しい困難に 直面するかもしれません
しかし 沖縄県民にとって 復帰は強い願望であり 正しい要求でありました
それはまた 沖縄県民にとって 自らの運命を開拓し 歴史を開拓する 世紀の大事業でもあります

私は戦後今日まで 幾多の厳し試練に 遭いながらも よくこれに耐え抜き
むしろそれに 鍛えられて 強靭な根性を 身につけた沖縄県民が
ここに健在であることを 何よりも誇りに思います

式典会場と隣接する与儀公園では、祖国復帰協議会主催の抗議集会が開かれていました。
抗議集会に参加した、およそ1万人の群衆の声は式典会場内にも響いていました。

【動画解説】元琉球政府職員に聞く ~どのような式典だった?~

【MAP】那覇市民会館

住所:〒902-0064 沖縄県那覇市寄宮1丁目2−1
MAP:リンクはこちらから
※現在は閉館しております。

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