2021年④ 浦添市の城間さんのご家族のお話し
【浦添市の城間さんのご家族のお話し】
(朗読:仲村美涼アナ)
私は両親を戦争で亡くし、顔も覚えていません。両親の話は祖母から聞きました。
私の両親は名護市の山間に住んでいました。家族で夕食をとっているとき、一枚の紙が届けられ
父が戦に行くことが決まりました。父は「心配しないで、元気で帰ってくるよ!」といいましたが、
母は泣きじゃくっていたといいます。父が招集された後、祖母、母、兄、姉と当時3歳だった私は、
丸一日かけて壕に避難しました。壕では蚊が飛び交い、私はかゆいかゆいと泣きわめいていました。
まわりから「子供を泣かすな。アメリカ兵に見つかる」といわれ、母は私の口にタオルを押し込み、
苦しそうにすると取るのを繰り返し、私が疲れて寝るまでそうしたそうです。
壕では常に食べ物が不足し、親切なご近所の方から分けてもらったりしたそうですが、母はすべて
子供に食べさせていたので、日に日にやつれていきました。ある日、水を汲みに行った母の帰りが遅い
ので見に行くと、草の上で倒れて息を引き取っていました。私は母の死が理解できる年齢ではなく、
すがりついて泣いていたそうです。もうすぐ終戦を迎えるころでした。
戦争が終わりしばらくして、父が亡くなったことを聞きました。
父は糸満で隊列の先頭にいた時に、頭に弾が当たって亡くなったそうです。
両親を亡くした私は戦争孤児として家々を転々とし、苦しい幼少期を過ごしました。
戦争の残酷なこと。幸せだった私の家族はめちゃくちゃになりました。
今は、物資に恵まれた平和な時代になっています。およそ20万人の尊い命がなくなった、
あの憎い残酷な戦争を、遠い遠い過去の事と思ってはいけない、
これから育つ子供たちのため絶対戦(いくさ)はしてはいけないと、語り継いでいきたいと思います。