真南風に吹かれながら
沖縄に来て100日くらい経ちました。陽春が過ぎ、若夏が過ぎ、小満芒種が過ぎ、燃えるような梯梧の赤が、夕陽で金色に縁取られながら、無造作に零れ散ってゆきました。月日が流れるのはとっても早いですね。
小学生の頃はたった45分の授業も長くて、長くて。飽きてしまうと身体をねじってくねくねさせたり、力が抜けてふにゃっとしたり、やたらのけぞって伸びばかりしていましたし、6時間授業の日なんて、時計の針と一心同体。私の瞳は秒針と共にぐるりぐるりと時計を周回し、目が回っては、あらん限りのわずかな心血を注ぎ、授業の残り時間を逆算。羊が一匹、羊が二匹と数えんばかりに1212、1211、、、。修行僧にでもなった気持ちで念誦しておりました。時には、瞼を落とし、悟りを開いたこともあったでしょう。
小学校の卒業式はやっと人生の門出を迎えたと、万歳三唱。自分で自分に盛大な拍手を浴びせ、大の字になって地面に寝ころび、抑えても抑えても胸の奥からこみあげてくる格別の充足感に溺れながら、天を仰ぎみておりました。
一方、中高時代の一日はあっという間でした。早起きして東京の満員電車に揉まれる、苦痛と倦怠を伴う時間。しかしいつしか変わった、苦ではなく無になるひと時。チャイムと同時に全速力で教室に転がり込む私。学生時代に得たものは、知識でも学びでもなく、果敢に階段を駆け上がる強靭な脚力かもしれません。
そして席に着くと同時に気付く小テストの存在。どうして自宅で思い出せぬものかと頭を抱え、抱えた頭をそのまま友人に下げる朝。早弁して、部活して、明日もまた会えるのに警備員に追い出されるまで残って語り合って、ふざけて、笑い転げ、たまにちょこっと勉強し、時々先生に叱られ。 でも金曜日ってなかなかこない。一週間はとても長いのに、三年間はあっという間という不思議。
青い時間は神様が操っているようで、無限に長く感じられた日々が、止まったり、一気に進んだり。本当は自分が手綱を握って、もっと噛み締めたかった。
誰かが締め切れなかった蛇口から静かに零れ落ちる雫のように、もの惜しげに滴る時を、両手で隙間なく受けながら、そのかすかで柔らかな生温さを、刺さるような冷たさを、こぼさぬように、流さぬように、一滴ずつ。手の中にぎゅっと収めて大切に刻みたかった。 目まぐるしく過ぎ去っていく毎日が、ただただ心惜しいような気がしていたのです。
振り返ると時間は短いものですが、私はアナウンサーとして、人は経過する時間の中で、精一杯生きていることを伝えていきたいなぁと思います。 つづく 大坪彩織