さんしんの日とは
「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」とは
「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」は、1993年(平成5年)に琉球放送が提唱して始まりました。「ゆかる日」は、佳かる日・佳日から縁起のいい日・めでたい日の意味で、「まさる日」は、優る日・勝る日の意味を持ち、「さんしんの日」を、よりめでたく、特徴づけるために重ね言葉にしました。3月4日としたのは、「さんしん」の語呂合わせからです。
「さんしんの日」は、上原直彦氏(元琉球放送ラジオ局長、「民謡で今日拝なびら」パーソナリティ)が長年温めていた構想を実現したもので、8月15日終戦記念日の正午に、甲子園球場で高校生を始め球場全体が、黙祷をささげる姿がきっかけです。終戦記念日や6月23日慰霊の日の正午には、宗教の枠を超えてすべての人々が平和を祈ります。このように、沖縄中を一つにして同じ想いが共有できるのではないか。その発想から、古典音楽の代表曲で、沖縄の祝いの席には欠かせない「かぎやで風(かじゃでぃふう)」を正午から毎正時ごとに演奏(唱)するアイディアが生まれました。
また、上原氏が主に活動してきた「ラジオ」には、時報音という便利で正確なものがあります。この時報音の正時を示す音は、さんしんの調弦C調と同じで、「かぎやで風」の最初の音と同じです。ラジオ時報が正時を告げるのと同時に、「かぎやで風」の演奏(唱)が始まる。「さんしんの日」はこうした遊び心と共に、沖縄の家々の床の間に飾ってあるさんしん、眠っているさんしんを、そして国内外にあるさんしんを、この日だけでも一斉に弾くことができたらという壮大なロマンでもあります。
1993年(平成5年)第1回「さんしんの日」から、RBCiラジオでは公開生放送を通して、正午から午後8時までの9回の時報音に合わせた「かぎやで風」の演奏(唱)を放送してきました。イベント主会場・読谷村文化センター鳳ホールでは、古典音楽・民謡・琉球舞踊各界とも会派・流派を超えて協力・出演し、さんしんを手に会場を訪れた観客と共に「かぎやで風」を演奏(唱)するほか、ステージにはベテランから若手、多くの歌者が登場し、さんしんを手に、それぞれが歌を披露します。
また「さんしんの日」は、回を重ねる毎に、県内はもちろん県外、海外へも大きな広がりを見せています。「さんしんの日」特別放送ではこれまで、福岡、長野、大阪、神戸、名古屋、神奈川、東京、札幌、ハワイ、シカゴ、ブラジル、ボリビア、ロサンゼルス、南アフリカ、インド、イギリス、フランス、北京、タイ、上海、ドミニカ共和国等と電話をつなぎ、各地の「さんしんの日」の取り組みも紹介してきました。
これからも琉球放送では会場での演奏やラジオ放送、スマートフォン・パソコン(ラジコ)等を通して、沖縄文化の原点の一つ、「さんしん」の素晴らしさを発信してまいります。
※琉球放送では、
「さんしんの日」を2005年(平成17年)1月に商標登録しておりますが営利目的でない場合、「さんしんの日」の名称を使用して頂いても構いません。
「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」を振り返る
ゆかる日まさる日さんしんの日 第一回目は1993年3月4日に開催されました。
当時は、午後2時50分にさんしんの日の放送が始まり、午後10時の放送でした。
第一回のメイン会場はパレットくもじ大ホール。
また、宜野湾市民会館大ホールと、赤犬子碑前、座喜味城跡広場でも関連イベントを催して、今と同じように中継で繋がっていました。
出演される演者の方々について、初回から演奏ゲストの顔ぶれが豪華だったとのことです。
さんしんに関わる多くの方々に支え続けられてきたからこそ、今日に至るまでさんしんの日の盛り上がりが決して衰えないのだと思います。
あれから回を重ねること30回。
その、さんしんの音色を共有する輪は県外、そして海外までも広がっていきました。
近年は新型コロナの影響により、さんしんの日もラジオ放送のみ開催、そして昨年はライブ配信と合わせての開催と、直接演奏をお届けすることはかないませんでした。
それでも、多くの方々がラジオそしてライブ配信を通して聴こえてくる音色に合わせて、同じ刻に同じ音階でさんしんを弾いてくれる。そしてSNSやYouTubeのコメントを通してメッセージを届けてくれていることに感動します。
このような状況だからこそ、より深く、みなさまと同じ想いを共有できていると感じています。
今年で第30回を迎える「ゆかる日まさる日さんしんの日」
この節目はさんしんを愛する世界のみなさまと繋いできた絆であり、積み重ねてきた回数は自信となります。
みなさまとなら、どんな状況でも何度でも立ち上がれるような気がします。
コロナに負けず、さんしんの音で繋がりましょう。
改めまして、今後とも「ゆかる日まさる日さんしんの日」をよろしくお願いします。